大津園児死亡事故で議論すべき論点は保育園の監督責任ではない

交通事故

先日大津市の保育園児の集団に車がぶつかる事故が起き、園児2人が亡くなりました。メディアでは連日この事故を報道し、なぜ起きたのか、誰が悪いのか、防げなかったのかと議論しています。

しかし、本当に議論すべき論点はそこなのでしょうか?

事故の原因は右折車だが、人を責めるだけでは無意味

「原因の右折車がちゃんと確認をしていれば」

「右折時の直進車は思ったよりも速いスピードで向かってくるので要注意です」

など、事故を起こした本人に焦点が向けられていますが、はたしてそれは本質なのでしょうか?
人のせいにしている時点で「その人が悪かった」で片付けられてしまうのではないでしょうか?
言い方は悪いかもしれないですが、加害者も今回はたまたま事故を起こしただけで、誰でも起こす危険性はあるのではないでしょうか?犯人探しをしている場合ではなく、『右折事故をなくすには?』の論点で話し合うべき事項だと思っています。

保育園の監督責任を問うのは論外

今回亡くなった園児のご両親はとてつもない悲しみに襲われているかと思います。そして、この感情をどこにぶつけてよいのかもわからない状況です。もし私が被害者の親だとしたら、怒りのぶつけ先がわからず虚しい思いをしそうです。

しかし、ここで保育園の監督責任を問うのはおかしいのではないでしょうか?
仮に完璧な安全を全うするのであれば、園内に閉じこもるしかありません。でもそれは本質課題の解決にはなりませんね。保育によって少しでも刺激を与えてくれるよう外出も必要なのです。最近の保育園では外出時におおきなカートに園児を入れて、勝手に飛び出したりすることを防いだりしています。このように少しでも交通事故に巻き込まれることを減らそうと保育園側も気を使っています。

今回の事故はその様な状況下においても、たまたま歩道に車が乗り上げてくる想定外の事故に巻き込まれたことで発生したものです。万全を期しても防げなかった事故なのです。

話すべきは起きる事故のリスク回避ではないか

テレビの報道を見ながら「可愛そう」「怖いな」と思うかもしれません。その時点で伝えるべきことを間違えてるのでは無いでしょうか?

今必要なことはこの事故はたまたま園児が巻き込まれただけで、誰にでも起きうる事なのです。それをまずは自覚させることが必要です。その上で、例えばこんなことを話すべきではないのでしょうか?

  • 事故が起きても歩行者が巻き込まれにくいリスク回避を伝える
    • 交差点によくポールが立ってますが、車の衝突防止が目的です。ポールの後ろにいるだけでもリスクは回避できます。渋谷のスクランブル交差点。ポールありますか?何が起きてもおかしくないのです
  • 起きても交通弱者を守れなかった行政を論点に出す
    • 以前から右折事故が多かったのに何が理由で対応しなかったのか
    • ポール設置など、万が一の事故に備えて対策を打たなかったのか
    • そもそも事故を起きなくするための信号の切り替えなど検討しなかったのか

例えば池袋の事故も結果的に親子が亡くなりましたが、「ちゃんと親が守ってあげれば子供の命が助かったかもしれない」など、監督責任は問えるのでしょうか?おそらくどんな状況でも難しいはずです。

今回の事故も保育士はすべてのリスクを予防していたわけで、それでも巻き込まれてしまいました。メディアが報じている『誰が悪い』ではなく、だれでも巻き込まれる可能性はあった、その上でリスク回避の方法はないか?を話すべきです。
(仮に誰が悪いを問うなら、事故が多いことを見過ごした行政ではないのでしょうか。)

事故をきっかけに世の中がうまく変われば幸いです。

交通事故

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